掲載内容


理事長ごあいさつ

イラスト02

今回は、二つの話をしたいと思います。
一つ目は、病院についての話です。日本の病院数は、平成16年の統計で9077施設です。
最近の風潮として、「病院に入院しても二週間で追い出された。」「一つの病気だけで、他の病気は診てもらえなかった。」または、「一ヶ月や三ヶ月で退院してくれといわれた。関連の病院を転々とさせられた。」といった話をよく聞きます。皆さんの意識の中に長年根付いた入院の意識と現在のシステムは、大きく様変わりしています。
平成13年以降は、結核病床、精神病床、感染症病床のほかに、主に急性期の疾患を扱う『一般病床』と、主に慢性期の疾患を扱う『療養病床』の二つが定義され、病院の機能の違いが明確にされました。この病床区分の改定の目的は、わが国の『一般病床』を削減して医療費の高騰を抑えたいという財務省、厚労省の意図がはっきりしています。『一般病床』では、人員基準や在院日数が厳しく設定され、その基準によってさらに入院基本料が細かく規定されているため、14日や30日、90日の入院期間や入院施設のたらい回しが起こっています。つまり、入院期間が、長くなると病院の収入が減ってくるということです。
それでは、『療養病床』はどうかというと、『療養病床』の入院基本料は平均在院日数による縛りはありません。しかし、『一般病床』との大きな違いは、入院基本料の中に検査・投薬・注射・処置などすべて包括化されて入っているので著しく治療に制約を受けることになります。(包括化とは、どんな検査をしても、どんな高額な治療をしても1日いくらで決まった点数で、何をしても同じである)『一般病床』のような治療が望めないことを理解してください。
最近、『療養病床』に併設した透析施設が、兵庫県内で続々と出来ています。神戸、西宮、芦屋、加古川でも昨年から今年にかけて新設されます。しかし、困ったことにこれらの施設では、透析に精通した医師がおらず、透析治療は技士任せばかりです。透析医会としても、この様な施設に適切な医師を配置するように要望しています。
話が戻りますが、老人は『一般病床』での入院が90日を過ぎると追い出されます。これは、“老人の90日規制”といって非常に低額の包括化された入院料になってしまうためです。
ところが、透析の患者さんでは、この「老人特定入院基本料」を選択せずに出来高払いが行なえるとされていますので、『一般病床』での長期入院が可能となっています。
ややこしい話ですが、入院に際して大切な知識ですので頭の隅っこにおいて置いてください。
二つ目は、医師会誌にある先生が転載された話で、月刊『致知』に掲載された小学校教諭の文章です。良い話と思いますので、読んでください。題名は、「招待状」
その先生が5年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強も良くでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」後半の記録には、「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると、「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症になり、子供に暴力をふるう」。先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決め付けていた子が、突然深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を挙げた時、先生に大きな喜びが湧き起こった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。あとで開けてみると、香水のビンだった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日はすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担任してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。

イラスト01

理事長   依藤 良一

このページの先頭へ