寄稿「私の音楽感」
八島 康郎 様(月・水・金)
私はジャズが好きで今も時折聴きますが、そもそもジャズとの出会いは、私が小学校の五年生の頃だったと思います。兄が三人いたのですが、多分二番目の兄が買ってきたか、借りてきた3、4枚のSP盤のレコードを手に入れてきて家にあった原始的な蓄音機(ゼンマイ仕掛けの手でゼンマイを巻いてレコード盤をまわし鉄の針でレコード盤の溝から音をひらう方式のもの)で最初に聞いたジャズがルイ・アームストロングの演奏し歌う『火の接吻(Kiss of the fire)』と裏面が『オン ブルー ベリーヒル』でした。その他、レスブラウンのバックでドリス・デーが歌う『センチメンタルジャニー』裏面は忘れました。もう一枚は女性ボーカルで『昼は太陽、夜は月』でいわゆるポップス系の歌でした。小学五年生でしたから英語はさっぱりわかりませんでしたが、どれも英語で歌っている声がバックの演奏にマッチしていて、あたかも音色良く、且つ流暢に演奏している楽器の一つの様に心地よく耳に入ってきて何回も聴きなおしていたのを覚えています。それからはアメリカ産のこの手の音楽にどんどん傾倒していったのです。
中学生になって英語と体育の先生が音楽好きで、学校の中にあった先生の個室で放課後、クラシックや外国の有名な民謡、日本の歌唱歌等たくさん聞かせてもらっていました。家では民放局がS盤アワーと言う確か湯川れい子のナレーションで西欧音楽にアメリカンポップスやジャズを聞かせる番組がありこれを聴いていました。そんなある日、学校の先輩から、FEN放送(駐留アメリカ軍兵士、家族の為の放送)でジャズを聞かせる番組があることを聞いて毎日ダイヤルを合わせてジャズを聴いていました。今ではこの番組はなくなりましたがこのFEN放送は関西では短波帯に移っていて短波ラジオで聴く事が出来るようです。
中学生になって英語と体育の先生が音楽好きで、学校の中にあった先生の個室で放課後、クラシックや外国の有名な民謡、日本の歌唱歌等たくさん聞かせてもらっていました。家では民放局がS盤アワーと言う確か湯川れい子のナレーションで西欧音楽にアメリカンポップスやジャズを聞かせる番組がありこれを聴いていました。そんなある日、学校の先輩から、FEN放送(駐留アメリカ軍兵士、家族の為の放送)でジャズを聞かせる番組があることを聞いて毎日ダイヤルを合わせてジャズを聴いていました。今ではこの番組はなくなりましたがこのFEN放送は関西では短波帯に移っていて短波ラジオで聴く事が出来るようです。
デキシーランドジャズは好きな人にはリズミカルで心地よいのですが、すきでもない人にはただうるさいだけの様で、家内等は音を小さくしてくれとすぐに言います。ですから、もっぱらマイカーを運転しながら聞いています。 さて、この大好きなジャズを色々聴いてきましたが、若い頃や生きてきた時代を思わせるような思い出とジャズの曲が結びつく事はとんと無く、不思議なことに時代を思い出させてくれるのは日本の流行り歌、流行歌やポップスです。私の青春時代が蘇るのは井上ひろしの『雨に咲く花』や小林旭の『あきらのズンドコ節』佐川満男の『無常の夢』であり渡辺まりの『東京ドドンパ娘』です。やはり流行り歌と言うとおり 〝歌は世につれ、世は歌につれ〟 の言葉通り今でも、その時その時に流行っていた歌を聴くとその時代に戻れる気がします。特に昭和三十年から四十年にかけて流行った俗に言うムードコーラスが好きです。
ジャズの話から離れますが、演歌を聴くのは飲みに行った時か車のラジオから聞くだけなのに妙に早く覚えたりしてずーっと後になって聴くとその時代を思い出します。皆さんもそうではありませんか。今頃の演歌はともかく最近の若い人が歌っている歌は英語と日本語が半々や中には歌詞を聞いていると日本語か英語なのか判別不可能なのがあったり、また節が一本調子で、お経だか歌だかわかり難い物もありますね、これはラップから来ているのでしょうが、演歌を歌う歌手はお腹から声を出す練習をしているので声の出し方がしっかりしていますが、若い人が歌っている特に少女達は喉か鼻から声が出ているし、おまけに調子パッズレでどの歌を聴いても同じように聞こえるのは私だけでしょうか?中にはどう聴いてもその歌手より会社の若い女子社員の方が上手いと感じる時があるのですが・・・・皆さんはどうですか、それともう一つ、最近は子供の歌う童謡も変わってきていますね。だんご三兄弟はまだ許せるとして〝おしりかじり虫〟 なる歌と踊りは変ですね、こんな歌で育った子供は将来、軽薄短小な大人になってしまわないかと思うのは私一人でしょうか。こんなことを思うのは私自身が年老いてきた証拠だと思い知る今日この頃です。