患 者 様 か ら の 寄 稿
今回も、患者様から寄稿いただきました!
毎回、多くの患者様から、色々な原稿を寄せていただき、嬉しい限りです!
「路傍に咲くリンドウの心」
北側 彰一 様肌寒い晩秋の午後、北風が吹く人里離れた山道を散策していた時のことです。たまたま灌木の葉が散り始めた道端の日だまりに、葉が半ば黄変した一輪のリンドウの花に出逢いました。
その花は十分開かないまま、誰かに踏まれたのか、風雨にさらされたのか、痛み乱れていました。
にもかかわらず、花びらの淡紫色は筒状の付け根の赤茶色に連なり、少々枯淡の風情を添え、哀しげながらも何ともいえない可憐な美しさを醸し出していました。
それは、その時期の周囲の秋の彩と協調しているかのように視えましたが、むしろ最後の力を振り絞り、何かを求め訴えている姿として映りました。顧客である蜂も蝶も、すでに冬籠もりしてしまったその時期にです。
多分、来訪者が来ないことを知りながらも、なおかつ歓迎し、蜜でもてなそうと待ち構えていたに違いありません。
たとえ花を立派に咲かせることができなくても、花は花。それはすでにわが感覚を一歩踏み越えたところで、孤独の渦中にありながらも、自己目的のために懸命に生きようとする純粋かつ強靭な生への意志を観て、底知れない共感を覚えました。
ところで、人は、老若男女を問わず、あるいは、社会的立場や見掛けの姿とはかかわりなく、心の内側には、こうした花を少なからず秘めているのではないかと思います。
ただ、さまざまな事情から、その多くはその表現の機会に恵まれないようです。体面が許さない御仁もいよう。心身の不調などの苦境との闘いで余念のない者もいよう。
人は同じような花を心の底に秘めながらも、なぜ、互いに通じ合いにくい、いな、通じ合えないのでしょうか。それとなくやり切れない気持ちになります。
老化に伴う心身の衰えや、時の経過に伴う友人や家族との離別など、将来、名実共に孤立化しつつあるわが身を、どのように処すればよいか、考えれば考えるほど、深淵に臨む思いがします。
ただ、矛盾に満ち混沌とする現実に足を取られながらも、誠実に生きよう努めることが、最善の選択肢ではないかと考えています。
必ずわが認識能力を超えたところで、真実の光が点していると信じているからです。
- ●ここに登場する晩秋にさいていたリンドウは、リンドウ科ツルリンドウです。
赤い実を付け、枯れた冬山の地表を控え目に彩ります。 - ●宝塚ではスミレの花が咲き、川西ではリンドウが市花として定められ、共に幸せを呼ぶ花として美しく輝いてほしい。
あわせて、秘められた生命力が少しでも癒されることを祈念して。