患者様からの寄稿
菊池寛の『馬券哲学』
匿名希望
私は、老いて頭がボケないように競馬をしております。私の生まれた頃にも競馬があったらしく、作家で有名な菊池 寛が『馬券哲学』を書いていました。当時の文章は現在では違和感がありますが内容は立派なものですからご紹介したいと思い筆をとりました。
- 馬券は禅の如く、容易に悟りがたい。ただ大損をしないことを念頭におくこと。
- なるべく大なる配当を獲らんとする穴買主義と、配当はともかく勝馬を当てんとする本命主義と。
- 堅き本命を取り不確かなる本命を避け、たしかなる穴を取る。これ名人の域なれども、容易に達しがたい。
- 穴馬に人気が出ると、もう買うのが嫌になる穴買主義者あり、これも又馬券買いの邪道。
- 開場と同時に、傍目もふらず本命へ殺到する群衆あり、本命主義の邪道である。他の馬が売れないのに配当金どこにありやと訊いて見たくなる。A馬、B馬に幾何の投票あるゆえC馬を買って、これを獲得せんとするこそ、馬券の本意ならずや。
- オッズ1.5以下の配当の馬を買うほどならば、見ているにしかず。何となれば、世に絶対の本命なるものなければなり。
- 然れども、実力なき馬の穴となりしことかつてなし。
- A馬、B馬実力比敵し、しかもA馬は人気90点、B馬は人気60点ならば、絶対にBを買うべし。
- 実力に人気相当する場合、実力よりも人気の上走る場合、実力よりも人気の下走る場合、最後の場合は絶対に買うべきである。
- その場の人気の沸騰に囚はれず、頭を冷徹に保ちひそかに馬の実力を考えるべし。その場合の人気ほど浮薄なるものはない。
- 「何々がよい」と、一人これを言えば、十人これを口にする。本当は、一人の人気である。しかも、それが10となり100となっている、これ競馬場の人気である。
- 「何々は脚がわるい」と云はれし馬の、断然勝ちしことあり、またなるほど脚がわるかったなとうなずかせる場合あり、情報信ずべし、然も又、信ずべからず。
- A馬、B馬人気比敵し、しかも実力比敵しいずれが勝つか分からず、かかる場合は却って第3人気の大穴を狙うにしかず。
- 大穴は、おあつらえどおりには、開かないものである。天の一方に、突如として開き、ファンをあっけに取らせるものである。何々が、穴になるだろうと、多くのファンが考えている間は、絶対にならないようなものである。それは、もう穴人気といって、人気の一種である。
- 剣を取りて立ちしが如く、常に頭を自由に保ち、固定観念に囚わる事勿れ。レコードに囚わること勿れ、融通無碍しかも確固たる信念を失うこと勿れ。馬券の奥堂に参ずるは、なお剣、碁の秘奥を修めんとするが如く至難である。
- 一日に、一鞍か二鞍堅い所を取り、他は悉く休む人あり。小乗なれども又一つの悟道たるを失わず。大損をせざる唯一の方法である。
- 損を怖れ、本命々々と買う人あり、しかし損がそれ程恐ろしいなら、馬券などやらざるに如かず。
- 一日に4、5千円の損になっても、よき鑑定をなし、1万5千円位の中穴を一つ当てたる快味あれば償うべし。
- 1万2、3千円の穴にても、手柄の上では2万円に当たるものあり、2万円の配当にても、手柄の上ではくだらぬものあり。新馬の2万円をまぐれ当りに取りたるなど、ただ金を拾ったのとあまり違いは無い。
- よき鑑定の結果たる配当は、額の多少に拘らず、その得意は大なり。まぐれ当りの配当はたとえ2万円なりとも、投機的にして、王道なる馬券ファンの手柄にすべきものにあらず。
- 人に聞いて取りたる2万円は、自分の鑑定にて取りたる5千円にも劣るべし(というように考へて貰いたいものである。)
- サラブレッドとは、如何なるものかも知らずに馬券をやる人あり、悲しむべし。馬の血統、記録などを、ちっとも研究せずに、馬券をやるのはばくち打ちである。
- 同期開催済の各競馬の成績を丹念にしらべよ。そのお蔭で大穴を1つ2つは取れるものである。
- 必ず着に来るべき剛強馬2、3頭あるとき、決して複勝の穴を狙うなかれ。たとえ適中するとも配当甚だ少し
- 複勝の配当の大小は、多くは他の人気馬の入線如何による。その点に於いて、より偶然的である。むしろ単勝の大穴を狙うに如かず。
- 厩舎よりの情報は、船頭の天気予報の如し。関係せる馬について予報は詳しいけれども全体の予報について甚だ到らざるものあり。厩舎に依りて、強がりあり弱気あり身びいきあり謙遜あり。取捨選択に、自己の鑑定を働かすに非ざれば、厩舎の情報など聞かざるに如かず。
- 自己の研究を基礎とし人の言を聴かず、独力を以て勝馬を鑑定し、迷はずこれを買い自信を以てレースを見る。追込線に入りて断然他馬を圧倒し、鼻頭を以て、一着す。人生の快味何物かこれに如かんや。而もまた逆に鼻頭を以て破るるとも馬券買いとして「業在り」なり、満足その裡にあり。ただ人気に追随し、漫然本命を買うが如き、勝負に拘はらず、競走の妙味を知るものに非ず。
- 馬券買に於て勝つこと甚だ難しい。ただ自己の無理をしない犠牲に於て馬券を娯しむこと。これ競馬ファンの建てたる蔵のなきばかりか(2、3年つづけて競馬場に出入りする人は、よっぽど資力のある人なり)と云わる、勝たん勝たんとして、無理なる金を賭けるが如き、慎みてもなお慎むべし。馬券買いは道楽也。散財也。真に金を儲けるとするならば正道の家業を励むに如かず。
菊池 寛さんにはおことわりしていませんが、現用文に1部修正したところがあります。当時は単勝と複勝しか無かったらしいですが、それが馬券の基本です。