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連載寄稿「いのち(一)」
すみれ会 会員S
仁成航路第16号で院長先生に50才以上は神様のオマケ、人生大切にと教えて戴きました。戦後の物資不足を生き長らえて、食物なら何でもある今日になり、意地汚く食べ、飲んだ罰が当って腎不全になっても、有難や、透析のお陰で元気に生きています。昔ならトックにご焼香の運命ですのにネ。

知人が50才の時八卦で70才迄大丈夫と云われた。即ち70才で死ぬかもしれないと云うことである。50、60才は平気で暮したが、70才が近付くと、心配のあまりノイローゼになった。 
Tナアーニ、ばあちゃんなら100まで大丈夫U と励ましながら現在96才。あの時は心配したよと老人仲間で同じことを何回も喋って笑っている。あと余命の方がなんぼもない筈なのに、そっちの方は何と心得ているのだろう。何時お迎えが来たって平気とタカをくくっているのかな?

有名な夏目漱石は、平素「俺が死んだら萬才と叫んで喜んで呉れ」と豪語していたが、いざ臨終となるとここ之水を掛けて呉れ、死ぬと困るからと騒いだと云う。またある高僧が死は恐れるに足らず、御仏の教にとか説教をしていたが、自分が癌と診断されると、見るも哀れな姿になったとか。昔武士は主君の為には命を惜しまなかったが、普通の庶民はやはり命を大切なものの一番にした。

「命あっての物種」とも云い、生きていれば何かいいことがあるさあと思っていた。公卿など優雅な人種は文学に勤しみ、命についても様々な観点があったようだが、やはり高齢や病弱になると、「ついに行く道とはかねて聞きしかど、きのうきょうとはおもわざりけり」今まで死とは何かといろいろ聞いていたが、それが近いとは思わなかったと嘆いた。

人は誰も自分の寿命を知らない。知らないから平気な顔をして、よい未来を夢見て行けるのでしょうね。後悔しないよう50才からのオマケの命、大切にしよう。