寄稿:「駅前広場の騎馬武者の銅像」
今回は、JR川西池田駅のロータリーにある銅像の人物について原稿をお寄せいただきました。川西にはこんな歴史があったんだ!銅像の人物はこんな人だったんだ~と感心しました!第二仁成クリニックに通院中の患者様をはじめ、川西にお立ち寄りの時はぜひロータリーの銅像に注目です!結構大きな銅像ですよ!
《駅前広場の騎馬武者の銅像》
安田 鈴子様(月水金)
JR川西池田駅前広場に、後足立ちの勇ましい騎馬武者の銅像があり、第二仁成クリニックの5階透析室の窓からすぐ下に見下ろせます。春は満開のしだれ桜を背に、駆け出しそうな堂々としたこの馬上の人、みなもとのみつなか源満仲とは?
清和原氏、清和天皇の孫の経基の子、そして義朝、頼朝、義経らと続くその一族の祖とされ、川西多田の地を開いた人。千年以上前の平安時代中期に満仲が摂津の守だった時に、都に帰らず土着し川西多田の地を開墾し、住み付き領土としたのです。
どこに館と建てようかと、住吉大社に参篭、願かけし『北に向かい矢を射てその落ちた所に築け』の神託を受け、放った矢を追いかけてきて、鼓が滝の近くで矢の落ちた場所を問うた所、矢問(やとう)の地名が今もあります。その矢は大きな沼に二頭いた九頭竜に刺さり、苦しみ大暴れして堰を切って逃げ出し死んだ所として九頭死(くずし)という地名もあり、ひとつは東多田に九頭神社として、もう一頭は下流の市役所近く小戸神社に、白竜社として祀られています。竜と共に沼の水が流れ出した後の肥えた土地を耕して多くの田ができたので多田の地名がついたとか。平時は多田の庄の開発に働き、火急の折りは武器を取って満仲を中心に団結し多田荘七〇数箇村に発展させた、中世の武家集団の先駆けとして歴史上の重要性と共に、今住んでいる近くに満仲時代からの地名等が残っていて昔を想像し楽しくなります。
彼の建てた廟所に多くの寺坊が建てられ多田院と号したのが、今の多田神社ですが、私はクリニックへはその前を通っていますが、猪名川に架かる赤い橋の正面、珍しい唐椿の老木等木々の多い広大な敷地は国の史跡で、足利尊氏から代々の将軍(鎌倉・室町・江戸幕府 徳川家も清和源氏の流れですから)の遺骨が納められ、西日光とも言われているとか…今回調べて初めて知りました。
もっと有名なのは息子の武勇に優れた、源頼光の大江山の鬼、しゅてん酒呑どうし童子退治です。坂田の金時(金太郎ですが彼の墓も市内の満願寺境内にありますよ)や他の四天王と呼ばれていた家来達を連れて出かけ、その首を切った刀は宝刀鬼切丸として満仲の画像等と共に納められています。又、持ち帰った首を洗った鬼の首洗い池も境内にあります。私は、酒呑童子の名前とは?お酒好き、でも童子って?小柄、可愛い子供顔?と思いましたが答えは櫛を入れない子供のような頭だったからだとか。他にも僧になる勉強をしなかった末の息子、美女丸の身代わりに殺された家来の子の悲しい伝説の小童寺(石畳がきれい)、それ以後悔い改めた美女丸は源賢阿ジャリと言う高僧になったそうです。源賢の建てた頼光寺はアジサイがこれから見頃で観光客がいっぱい訪れます。
我が子を怒って殺せと命じる荒々しさや、密告や裏切りもし中央権力と結びつき出世したので、妬まれて館を焼かれたりもしたのですが、晩年は出家し信心深くなり、一門や国の為に、多田院鳴動伝説も遺した満仲の人物像は描ききれませんが、興味のある方やもっとご存知の方、お話お教え願えれば嬉しいです。
と、今回はここまで、続きは次号で懐古行列や魅力あふれる川西の紹介です。どうぞお楽しみに
☆長々のついでに・・・
六月一日腎友会阪神の総会に、十五年の表彰対象者とのことで再々お誘いを受け予定を変更して出席しました。最初数年は透析や会について知りたいの一念で出席し、透析については勿論、会の活動、先輩方のがんばりのおかげで、今の自己負担だけでの世界でも高レベルの良い透析が受けられるようになった事実も知り感謝です!最近は体調や会場が北の端の我が家からは遠いことや、夫が日曜日しか休めなかったので欠席もしましたが、腎友会は全員が患者の組織なのですから、体調や仕事家庭の事情等で、活動への出席や役員になるのは無理でも、先ずは会員になることが参加の第一歩と改めて思いました。今回も会員数の減少が最大議題でしたが、組織率の高い施設は病院側の協力がしっかりなされてるからだと判りました。透析当初の受付や説明と同時に会のこと入会の勧めも、婦長なり事務員が熱心にしてくれてるとのことでした。今後は会本部からわかりやすいビラを作って配布とのことでしたが、渡して説明するのも皆、患者同士では、透析日や時間も違えば顔も見れない、連絡も個人情報保護から昨今は困難ですので、患者と接する病院の協力が、一番有効な方法だと思いました。当クリニックの勉強会でテーマの一つにされ時宜に適って有難いですが、説明や勉強の提供から一歩進めてくださると尚一層、透析医療の進歩発展という病院、患者、会の希望に適うことだと…一患者の感想を述べさせて頂きました。