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仁川、川西の知らない世界

現在クリニックがある阪急仁川駅、JR川西池田駅周辺の移り変わりを知ると面白いいことがわかりました。古くから住んでおられる方には懐かしく、住まれてから日が浅い方には新たな発見と思っていただければと思います。

阪急仁川駅周辺

★仁川駅と小林駅の間にもうひとつ駅があったそう…

下の地図の右側は現在。左側は1940年代後半のクリニック周辺の地図です。
この駅は1943年から1945年の終戦まであったそうで「鹿塩(かしお)駅」と呼ばれていたそうです。当時この近くにあった「川西航空機(株)宝塚製作所」の工員たちの輸送のために開設された駅でした。その工場が空襲で大きな被害を受け敗戦ののち廃止されたそうです。駅が存在していた場所は「金龍寺」の裏手だったようです。
その後、工場跡地は阪神競馬場に転用されました。現在、競馬場の東にある新明和工業の前身が川西航空機です。

JR川西池田駅周辺

★クリニック周辺には5つの駅があった

次頁の地図の右側は現在。左側は1932年のクリニック周辺の地図です。現在、第二仁成クリニック近くには阪急・能勢電鉄の川西能勢口駅とJR川西池田駅の二つの駅があります。ところが、1932年ころにはクリニック周辺には5つの駅があることがわかります。

  1. 国鉄池田駅(1951年に川西池田駅に改称)は現在よりやや西側にありました。
  2. 阪急川西駅は高架駅ではありませんでしたが、現在と同じところにありました。
  3. その阪急川西駅から線路を西側にたどり国鉄池田駅の北側に駅がありますがこれが花屋敷駅です。1961年に雲雀丘駅と統合、西に移設され今の雲雀丘花屋敷駅ができました。
  4. 能勢電鉄能勢口駅は1996年から阪急川西能勢口駅と共用になりました。
  5. 当時は能勢口駅から、池田駅前駅(1965年に川西国鉄前駅に改称)まで一駅区間の電車が出ていましたが1981年に廃線になりました。

左の写真は1970年代中頃の川西池田駅周辺の写真です。クリニックのある場所は貨物の引き込み線だったようです。

仁川周辺も川西周辺も街には歴史がありますね。

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