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連載寄稿「いのち」教えて!Dr.ビーン!!お知らせ

連載寄稿「いのち(三)」
すみれ会 会員Sさん
 臨終の床で親族一同病人の手を握り、しっかりして、頑張って、代われるものなら代わってやりたいなど一分一秒でも長くと願うのは世の常、テレビや映画で度々出てくるシーンでもあります。
 その願いが叶って死の境地から生き返って来るのを臨死体験と云う。ある研究グループがこの体験をした人々を尋ね歩き、集計すると殆どの人が誰にも共通する体験をしたことが分かった。九死に一生を得て帰還した人々は異口同音に、自分の体から抜け出したもう一人の自分が、 抜け殻の自分を眺めている。その二人(?)の自分が長いトンネルに入りその出口から差し込む光に向かって進んでいると何とも云えない恍惚感(きもちよさ)があり、ますます光の方へ進んでいくと花が咲き美しい光景がまさに桃源郷のようであり、亡くなった先祖や知人達が団欒している。そこへ行こうとするその時、その人達がこちらへ来ては駄目よとか、後の方から行かないでと何か自分を引き止める声が聞こえて現世に引き返すきっかけになったようだと。

 私の感じだが、トンネルの暗闇の中で向こうに見える光が仏やキリストの後光ではないか。またトンネルの中で感じた恍惚感や、桃源郷に見えた満足感などが極楽の観念になったのじゃないかと。反対に地獄とは?どこかの絵で見た炎の中で大きな口を開けて苦しんだり、針の山でもがいたり、残酷の極致を人間が創造して絵に書いたもので、多分宗教家が悪いことをすると彼岸(ひがん)で苦しみますよ、だから良い事ばかりしてお経を信じなさいとの材料にしたのではないかと思われます。

 健やかに生きれる命が金で買えるのものなら今どきの高度医療なんて不用ですな。昔から大王、大帝と呼ばれる人は不老長寿の薬を求めて大金をはたいたそうだけど、後世長生きの薬とやらを分析すると、どれも殆どの成分が便秘の薬だったそうで、命の長さはウンチに比例するのか?便通を良くして50才からのオマケの命大切にしよう。
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